My foot

今回の記事は非公開にする予定です。

でもこの非公開機能って半信半疑くらいがちょうどいいんでないかと思う。

 

非公開に設定しているのに、google検索で先頭の内容だけ表示されたりとか

するようなことを以前他のブログサービスで経験したことがあるから

 

なので公開される可能性も視野に入れた上で、全てをさらけ出す。

僕はあらゆる可能性を考えた上で判断するって言うことが性格上好きで、仕事でもよくやる。

合理的なのだろうと思う。でも合理性を求め続けることに面白みがあるのかどうかは甚だ疑問である

 

人生なんてすべてさらけ出して、正面からぶつかって

当たった壁をよじ登って超えていくような生き方の方がいいような気もする

 

小手先のテクニックに頼るような、

きっと全ての物事には意味があるのだから、効率を考えることが必ずしも正しいとは言い切れない

 

今月はじめ頃に千葉にとんでもない規模の台風がやってきて

ゴルフ場のネットが倒壊したり、電信柱や気などもなぎ倒される

想定以上の大型台風だった

 

考えうる限りの対策をしたとしても斜め上の現実に面食らう可能性もあれば、

深くは考えないのだけどふわっと生きていけることもある

 

結局のところ完璧・完全と言う事はありえないのだろう

自分の心、真理、良心、魂、そういったものにのみ従って生きると言う事は

否定できることではないだろう

 

自分自身の人生を振り返ってみると、

小手先の謀略や策略に従っていきてきた結果は現実としてはいい効果をもたらしたように思える

ただそれが本当にいい効果かどうかを本当の意味では分からない

そうなってくると良し悪しを決めるのは自分自身しかないのだろう

 

結局のところそういった事は自分を納得させるためにすぎないのかもしれない

でも本当はありのままの現実を受け入れることこそが重要なことではないかとも思う。

 

なぜなら量というものは追い求めても追い求めてもゴールに辿りつく事はないからだ。

きっと真理っていう奴は見つけたところで全てが理解できるのだろうなと思う。

 

ここまで書いてみて隠すような内容にはならなかったので、

やっぱり今回は公開とします。

 

 

 

僕はまだみてる 進むつま先を

雨も水溜りも気にしないぜ すぐに乾くんだ